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明治33年(1900)晩秋、創業者が愛知県三河湾西部の豊かな海で海苔の養殖ができないものかと海苔養殖を始めました。
何度も失敗を重ねた4年後、明治37年冬、ついに海苔養殖に成功。
海苔養殖は西三河地方の海に広がっていきました。
これが西三河地方の海苔養殖の起源であると言われています。
昭和23年(1948年)6月、吉良漁業組合の有志により、碑を高島水門の傍らに建設し、氏の功績を顕賞しました。
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創業者の跡を継いだ息子・善太郎氏は海苔を作るための「海苔ソダ」を生産者に売ったり、採れた海苔を自分で商い始めました。
屋号を「山善」とし、海苔の産地問屋である糟谷善太郎商店を創業。
大正時代に入ると善太郎氏は海苔の本場、関東地方(東京から群馬高崎方面)まで足をのばし、商いに精を出しました。 |
3代目の和三郎氏は客の信頼も集め、糟谷商店は海苔問屋としての土台を築きつつありましたが、和三郎氏は若くして病に倒れ28歳の若さで他界してしまいました。
妻のぎん氏は和三郎氏の遺志を継ぎ、和三郎氏との子を育てながら海苔問屋を切り盛りし次の代への引き継ぎをしました。 |
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